一人で風に向かって立つ

人間は一人でいるよりは皆で話したり一緒に時を過ごしたりした方が楽しい。特に大学入学直後はこれからの学生生活に期待と同時に不安があり、一人でいることが淋しい、誰かと話し、情報交換をしたいと思うだろう。“つながりたい願望”の現われである。
ところがその状況を落とし穴として悪用する者がいる。カルト教団、ねずみ講などがサークル活動を装って、彼らを誘い込み、信頼関係を形成し、そして徐々に教義ややり方を教え込み、マインドコントロールをする手口である。
気が付けば、というか“気が着か付かない”うちに、落とし穴に陥っているというシナリオ通りの役柄を演じることになる。どこかに所属していたい帰属意識を悪用した犯罪である。
人が共に時間を過ごすのは意味がある、しかし人に流されては自分の人生が失われる。共に生きるのは人生かもしれないが、相手の思いのままに生きることは自分の人生を生きていることにはならない。
共生と支配されることは全く別物である。人とつながることと、人に流されることは、自分の人生を生きるうえでは区別しておくべきである。
真の宗教、哲学は個の確立のためにある。その根底には、人生は自分探しであることを教えている。
「汝の足元を深く掘れほれ、そこに泉あり」の言葉が真理であろう。
鳥の“巣立ち”は個の確立の旅立ちであろう。モラトリアムという庇護の言葉がよく言われた時代があったが、これが個の確立、独立を求めない今の時代の流れをつくったのだろうか。
自分自身を知り、個を確立する。そうすれば他人の意見や考え方がより深く理解でき、流されたり、支配されたりすることはないだろう。
日本人とは何かを認識できない、そして日本語形成が十分でない年齢で外国語の環境で生活していると陥りやすい“無国籍国際人”と似ている現象である。
時には、“一人で風に向かって立つ”人間でありたい。他人と和を求め、なおかつ、群れを作らない生き姿が美しく感じる。
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