30 July 2008

「普通の…」に隠された危険

Cimg3219娘が父親を、夫が妻を、など例を挙げればきりが無いくらい、家族間の殺人事件が多発しています。

そんな事件で、近所の人、知人、同級生などが「そんなことをするような人には見えない。普通の人でしたけどね…」などと、決まり文句のように言っているのをよくニュースで見かけます。

“普通の人”が家族を殺すのかといつも奇妙に感じます。
“普通の人”とはどんな人なのでしょうか?
何が、どのように、普通なのでしょうか?

「普通の…」に安心したり、甘えたり、気を許したりしてはいけません。
「普通」が一番豹変しやすい最悪の状態かもしれません。

「普通の天気」の日の親水公園に濁流が押し寄せ、死者を出したりします。
「普通の天気」の日の運動場で突然、テントがなぎ倒され怪我人がでます。

「普通の人」、「普通の天気」、「普通の会社」、「普通のお店」など、この「普通」という言葉に異常や危険を察知する能力が、現代を生きる技かも知れません。

近頃「普通」の意味が解からない私です。
それとも「普通」とは瞬時にしか表れない、泡沫のような現象などでしょうか。

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03 October 2007

沢尻エリカ

Cosmas彼女の「クローズドノート」の記者会見、理由が分かりませんが怒っていましたね。
あの眼光に驚きました。

女優としての彼女には期待しています、今でも。

昔、ジェームスディーンの「理由なき反抗」って映画がありました。自分が思う自分と、他人が創り上げた自分との距離感に葛藤する物語でした。
「Rebel Without A Cause」が原題でした。今風に言えば「わけなくキレる」って感じです。当時の私はこの感覚が良く理解できたものです。

若者だからこそ感じる葛藤でしょう。すんなり受け容れてはいけない何かに悩む役をディーンが苦しみながら演じていたような映画で、今も印象に残っています。

葛藤もなく短絡的に暴れる行為に走る若者もいますが、彼女は少し“葛藤”をしているのが救いだろうと感じます。

入社間もない頃、「上司のネクタイの柄が気に喰わない」と会社を辞めるヤツがいても納得できた私です。

こんな私が書いている日記ですから、説得力はないでしょうが、今後とも沢尻エリカに期待しています。

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20 September 2007

勝負はここで決まる

Streetlight世界柔道選手権大会で日本は金メダルをいくつか獲得しました。
しかし、大会中に日本選手の効果あり、技あり、と思われる場面で、そのように判定されなかった情景も目にしました。

ある解説者が「日本選手は自分が技ありと思った瞬間の隙に攻められている」とコメントしていました。
裏を返せば「外国選手はその隙を活かし、攻め返している」ということでしょう。
古来、武道には“残心”という心構えがあり、このような返し技に心するよう警告しています。

勝つか負けるかを競う“JUDO”か、それとも、道に則って戦う“柔道”かの認識の違いにも関係するのかも知れません。

道に反してまで、勝ちを求めることを「潔し」としない感覚がうかがえます。

「道」は勝負を決めるためのものではないのかもしれない。
ここに「競技」と「道」の大きな違いがあるようです。

しかし、日本にも古くから“勝てば官軍”とう考えもあります。
競技大会である限り、勝つことを最優先してほしいものです。

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25 June 2007

好きなニュース番組

Roses視聴率争いがニュース番組で展開され、「ニュース戦争」といわれたのは『FNNスーパータイム』、『ニュースステーション』があった1985年頃だと思う。
報道番組の堅苦しさを打ち破る軽妙なやり取りで、親しみやすさを前面に打ち出した。

最近のニュース番組はどれも堅苦しさがないのはいいが、ニュースよりも、テレビキャスターのアンカーマンが表に目立ちすぎ、ニュース内容が裏側になった番組が多いようだ。

ニュースと“戯れ”、ニュースよりも “自身を売り”にするアンカーマンが邪魔だと感じることがある。

小倉智昭氏の「とくダネ」、山本浩之氏の「アンカー」、辛坊治郎氏の「ウェークアップ」だけは安心してニュース内容に集中できる。

報道番組のトピックス選びの基本は視聴者が、
1)知らなくてはいけないコト
2)知った方がいいコト
3)知りたがっているコト
である。しかし、視聴率稼ぎのため 3)が重視される傾向にある。

そして番組の進行中に
アンカーマンがニュースと戯れる
アンカーマンが自身の受け狙う
アンカーマンがニュース内容、影響を十分理解していない
などが感じられる。

「情報ライブ・ミヤネ屋」、みのもんたの「朝ズバ」などは、アンカーマンの人気を前面に出し過ぎ、報道番組というよりは、ワンマンショーに陥っている。
人気が衰えると番組も消滅とならないよう、報道番組としての軸足を確保してほしい。

人気は周りが創るもので、自分が創ったものと錯覚しないように。
人気に溺れると、人気者が消費財に陥る。

主人公である視聴者に、知らせるべきコトを知らせるのがニュース番組である。
視聴者と一緒になって騒いでいる番組では、いわゆる、世直しはできないだろう。

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22 June 2007

メダカの学校

Nogtredame3メダカを近くの小川で取った少年時代がありました。

今は、小川もなくメダカは買うものになったようです。
一匹20円から70円などと書かれたプライスカードをつけペット店の水槽にいます。

京都新聞電子版でこんな記事がありました。

「京都市左京区のノートルダム女学院高科学クラブが、深泥池近くの用水池で生息していたニホンメダカの繁殖に取り組んでいる。同クラブは“すでに絶滅した深泥池のメダカと同種ではないか”とみて、希望者に卵を配り、増やしていく計画だ」。

昔懐かしいメダカが、外来種のカダヤシのために、深泥池のメダカは30年ほど前に姿を消しているそうです。

科学クラブでは、「いのちのたんじょうをみよう、Lets’s watch the birth of life」と題したプリントで研究報告書をまとめています。
報告書にはメダカの詳しいスケッチがあり、メス、オスの違いが有ることも詳しく描かれていました。また、飼い方が、苦労したことなどと一緒に、解かりやすく図解されています。
これから飼おうという人には参考になるでしょう。

学校では、電子版が出てから多くの問い合わせがあり、現在では「残念ながら、学校関係者以外にはメダカをお分けしていない」とのことでした。

これからもメダカを増やしてほしいと思います。春の小川もほしいです。

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06 March 2006

荒川静香のマインドセット

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「メダリスト達の競演、有明でふたたび」が3月4日、5日、有明コロシアムで行なわれた。荒川静香の凱旋公演にふさわしい9,800人の観客が押しかけた。

テレビ番組で「スケート靴を持たずに旅をしたいです」と言った彼女の言葉に“ここまで歩んで来た道のり”の厳しさが感じられた。

彼女はテレビ番組でプレッシャーについて尋ねられたとき、次のように応えている。
「しなきゃいけない、とは考えないようにしています。した方がいい、と考え、プレッシャーを感じないようにしています」。
物事を受動的にではなく能動的にとらえている。オリンピックでの彼女のフリープログラムを見ると “楽しんでいる”ように見えたのはこの考えの表れだろう。

また、記録を意識していますか、との質問には;
「一日一日の積み重ねで、記録をつくろうとは意識していませんでした」と話している。記録を目的に練習するのではなく、毎日の練習の積み重ねが結果として記録につながったのだろう。
“千里の道も一歩から”といわれるが積み重ねの重要性を教えられる。

彼女は「自分を大切にしたい」とも話していた。これは “我が侭”では決してない。“自分を知る”ということだろう。自分の強み、弱みを日ごろの練習から熟知し、総合的に判断した“自分”をどのように“駆使”するかということだろう。
だからこそ、得点に直接関係ないイナバウワーをあえて自分の演技に取り入れたのだろう。自分を大切にした英断だろう。

自分を知るということはなかなか難しい。日本としての国のレベルを知ることも容易ではない。

今回のオリンピックは“自分の実力”を十分知らずに“自分の思い”、“日本国の念願”だけでメダル獲得数が予想されていたように思う。

同時に予想メダル獲得者も“人気重視”で判断されたようで、荒川静香の名を挙げた人は少数であった。安藤、村主両選手の方に人気があった。

人気予想も、今年の冬が暖冬と予想した天気予報と同じくらい当てにならないものだ。

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02 March 2006

“シーン(場面)”を創る人

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トリノオリンピックの荒川静香ゴールドメダリストの場面は感動以上であった。観客のスタンディングオベイション(standing ovation)を受けたのは当然と言えよう。

今冬オリンピックの日本代表選手による試合後のコメントが「自分では全力を尽くしたので」などと結果に納得しているようなものが多かったと感じる。「絶対に勝ちたかった」というような“勝利への執念”を感じさせるコメントが全体的に少なかったのが残念である。“自分なりに技をこなした”レベルの選手では世界のトップレベルと互角に戦えないだろう。

荒川選手はそんな中でひときわ輝いた。

世界を視て精進努力することは、スポーツ界に限ったことではない。自分なりに小さくまとまり、完成したと錯覚するとビジネス界でも大きな怪我をするであろう。

荒川選手はフリープログラムの“場”と一体になっていた、というよりも彼女がシーンを創っていたといえる。彼女が曲を奏で、氷面を優しくし、空気を軽やかにし、全てが彼女の舞に手を差し伸べ、銀盤の主役にしているようなし自然な時間が流れているようであった。彼女は場に溶け込み、まさにシーンを創っていた。

また、同時にシーンを創るような人物には人並み以上の屈辱と努力があったことを忘れてはならないだろう。引退も考えた苦悩の時期を乗り越えたことが、彼女をゴールドメダリストにした。

「参加することに意義がある」というオリンピック精神があるが、参加選手には世界最高レベルが体感でき、知ることができる点では大いに意義のある大会である。

オリンピックは世界の“想定”が見られる。国際的視野がわかる。自分だけ優秀だと考えては“想定”の範囲は狭い。世界を視よう、自分を大きくしよう。

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10 February 2006

“ゆとり”から“言葉の力”へ

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文部科学省が10年ぶりに学習指導要領を改訂する原案を示した。

指導要領では、言葉や体験などの学習や生活の基盤づくりを重視する「言葉の力」を、すべての教育活動の基本的な考え方にする、と「ゆとり教育」からの改訂を明記している。

ゆとり教育は“誰のためのゆとり”であったのか、その効果は有ったのか、などは知りたい。

改定案は“言葉”に重点を置いているのは、今はやりの“コミュニケーション”という面ではなく、日本文化知るという点で非常に重要だと思う。言葉は文化の母である。

「国際人を目指す」、「国際的視野で」と言うが、“国際”とは本来、国のきわ、他国と境界となることを示す言葉である。国際的イベントとは国境を越えたイベントを意味することからも理解できる。

言い換えれば、自分の国の意識がなければ国際人にはなれない、また、国際的視野には立てないだろう。

自国の言葉、文字、文化を知らずして、外国語が堪能というだけでは根っ子のない単なる“浮き草”人としかいえない。

今回の原案では「言葉は、確かな学力を形成するための基盤。他者を理解し、自分を表現し、社会と対話するための手段で、知的活動や感性・情緒の基盤となる」となっている。

“読み、書き、話す”で日本語と日本を見直し、真の国際人が多く育ってほしい。“初めに言葉ありき”教育はうれしい改訂である。

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01 February 2006

軽薄短小化の食品

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ベビーチーズがさらにベビー化され、「一袋当たりの重量を80gから72gへ10%減らした」と、日経ビジネス1月30日号が特集「誰も言わない食の危機」で報じている。

食の危機の背景にせまる記事、読んでいると“世界は互いに連動している”と痛感させられる。

例えばチーズ小型化の話は中国と関連する。原因は、中国の粉乳の需要増にある。チーズは熟成工程で数ヶ月かかるが粉乳なら短期間で製造可能だから、生産者は利益率も高い粉乳を選択することになり、結果チーズの価格が上がる。

次はブラジルとの関連。砂糖価格が上昇するのは、ガソリン代替燃料と関係している。砂糖の最大の輸出国はブラジルである。そこにトヨタがエタノール車を投入するということから、エタノールの需要が拡大する。エタノールはサトウキビから造られる。

ヨーロッパがちくわの値段を上げている。BSE(牛海綿状脳症)の世界的な広がりで、牛肉代替需要としてのスケソウダラの引き合いがヨーロッパからの増え、それがちくわの原料価格を上昇させている。

価格を上昇させる背景は決して簡単には説明できない多くの要因があるだろうが、その底辺の流れの一つに上のような現実があるのは確かであろう。

「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起こる」というバタフライ効果や、「風が吹けば桶屋が儲かる」という日本のことわざに信憑性を感じる記事である。

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23 December 2005

事件の第一報

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「トラックが突っ込んだ踏切事故発生です」
「地下鉄の電気トラブルで火災発生です」
「これって正しい注文ですか?」

これらはすべて、その後、大事故であることがわかる第一報の電話連絡である。どれもそれほど大事件を感じさせる内容ではない。

4月25日午前9時20分ごろ、JR福知山線塚口―尼崎駅間で、宝塚発同志社前行き快速電車の車両7両のうち4両が脱線、1~4両目が線路脇にはみ出し、1、2両目はマンションに激突、死者106人、負傷者540人(5/11現在)を出した大事故の第一報が「トラックが突っ込んだ踏切事故発生です」であった。

この第一報の受信者は「どのようなトラックか」「どこの踏み切りか」などの詳細を発信者に確認し「発信者の氏名、電話番号」など“基本的情報”を得ておれば事故への対処が変わっていたのではと悔やまれる。

7月7日午前9時前、サミット開催中のブレア首相のもとに伝えられた同時多発テロの第一報が「地下鉄の電気トラブルで火災発生です」であったといわれている。もし、電気火災ならどの電気系統なのかが配電管理センターで掴めたはずである。

「なぜ電気トラブルと判断したのか」を第一報の受信者が“基本的な確認”をしていれば事件は別の展開をしたかも知れない。少なくとも49名の命が奪われた事件である。

12月8日午前9時30分頃、東証で取引を監視する幹部から「これって正しい注文ですか?」と、みずほエクイティ部に電話があったらしい。みずほエクイティ部は「調べます」と電話を一旦切った。

惨劇の第一歩は、この幹部の電話番号が正確に伝わっていなかったことから始まった。無策のまま魔の10分が経過してしまい、問題が大きくなった。“電話番号の復唱確認”などは新入社員の基本中の“基本”でるにもかかわらず。

最も重要でしかも軽視されやすいのが、“基本”である。それは母国語を話すとき文法を無視して、慣れでしゃべっているのに似ている。正しく母国語を話すのは案外難しい。

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29 November 2005

「優しくなければ生きている資格がない」

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ハードボイルド小説の人気作家、レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』で主人公フィリップ・マーロウが、「How can a hard man be so gentle?」と聞かれ答えた「タフでなければ生きられない。やさしくなければ生きている資格がない」は有名なセリフである。

原文ではこうなっている。
If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
人生の生き方を表現している意味深いセリフである。

最近の事件には、“タフ”と“優しさ”、両面のバランス欠如がうかがえる。

“金銭がなければ生きられない。法律を犯しては生きる資格がない”
耐震強度偽装で建築設計事務所が世間を騒がせている建築士は「指示通りにしなければ仕事を他にまわす、と言われそれでは生活ができないので指示通りにした」などと言っている。プロフェショナルとしてのプライドと金銭とのバランスが崩れている。

他方、民主党衆議院は「名義貸しは否定しがたい」と容疑を認め、弁護士の資格を有する人物が計約数千万円の金銭で、法律のプロが法律を犯した例である。資金面で困っていたと指摘する声もあるが、足りなかったのは資金ではなく、至誠の心ではなかろうか。

そのほかに、生きるうえでの大切なバランスをこの名言から学びたい。

“才覚がなければ生きられない。真心がなくては生きる資格がない。”
表面の才覚や才能に溺れ、人の道、他人を思いやる心がないと、その才覚で活躍できる人生の期間を自ら短くしてしまうことになるだろう。

“権利がなければ生きられない。義務を果たさなくては生きる資格がない。”
権利の主張は上手いが、自分の義務を忘れている人間が多い。それは必ずどこかにひずみを生じる。権利と義務は表裏一体、表が破れれば裏もなくなる。

タフな男には優しさがあってほしい、優しさが相応しいタフな男であってほしい、と思うのはわたしだけだろうか。

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15 November 2005

アメイジング・グレイス (Amazing Grace)

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15,000人のオーディションから選ばれ、ミスサイゴンの役を得たミュージカルスターが惜しまれながら若くして逝った。願いを込めて名前の最後に“.”を付けたにもかかわらず再起は夢と散ってしまった。驚くべき(Amazing)神の恵み(Grace)の彼方に逝ってしまった。こころ安らかに眠ってほしい。

「通夜には献花台の前には常時200人ものファンが列を作り、合計1500人が参列。一般弔問客の1200人と合わせて実に2700人が参列し、あまりにも早すぎる死を悼んだ。」(サンスポ)

告別式には会葬者700人、ファン3000人が参列した。戒名は「釋優聲(しゃくゆうしょう)」となった。

「チャレンジはチャンスです」(本人)
「人としても、歌手としても自分を高めたい」(本人)
「3オクターブの声域をもっていた」(音楽関係者)
「稽古(けいこ)場の天使でした」(弔辞を読んだ俳優)
「笑い顔しか思い出せない」(弔問客)
「決して人の悪口を言わない人でした」(弔問客)

18世紀に作られた讃美歌“Amazing Grace” 『いかなるめぐみぞ』はここしばらく彼女を思い出すことなしには聞けないだろう。彼女の澄み切った声が天空に響く感じである。

Yea, when this flesh and heart shall fail,
And mortal life shall cease,
I shall possess, within the veil,
A life of joy and peace.
肉体と心が衰え
限りある命が終わるとき
私は覆い隠されていた
喜びと安らぎの命を得るだろう

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30 October 2005

マニフェストは民意で変更できる?

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マニフェスト(Manifesto)は、政権公約、政見発表の意味だが、早稲田大学マニフェスト研究所によると「マニフェストは数値目標、期限、財源、工程表などをきちんと約束するものです」とある。政党公約が選挙時だけのスローガンやリップサービスで終わってしまわないよう、当選後の公約遂行をたしかなものにするよう公約の証を明示したものといえるだろう。

同研究所のホームページには各政党のマニフェストが解りやすく表示されている。自民党の税制の抜本的改革も記されている。

政党に対してはマニフェストで公約の証が明示されるが、個人の場合はどうなるのだろうか、明確でない。

選挙戦中は「○○反対」を公約とし宣言していた候補者が、当選すると「民意に従う」という名目で手のひらを反したように「○○賛成」になっている例が見られる。

政治家はリーダーであるべきで、リーダーとしての信条をもって物事を遂行するのが本筋であるはずだ。

“民意に従う”のが仕事なのだろうか。とすればマフェストも“意に従い”さえすれば反故にしてもいいことになってしまう。これでは選挙の意味がなくなり、政治不信を招く。

“民意に従う”というよりは“自分の今日”を心配しての行為ではないか。“国民の明日”を考えるのが政治家の仕事であろう。

民意の予測が外れた“予言者”になるのではなく、国民の未来を自ら築く“指導者”であるべきだろう。

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19 September 2005

虚偽メモによる記事掲載

05091566
取材せずにメモをもとにした選挙記事が掲載された事件。事実を伝えるべき新聞メディアが起こしたこの不祥事は新聞読者の信頼を大きく傷つけた。

事件の経緯を読むと根底には意思疎通の欠如があるように思える。メールだけでのやり取りがいかに危ないかがうかがえる。メールさえ出しておけば「間違いなく伝わるだろう」という“メール時代”の落とし穴に記者、デスク双方がおちいったといえる。

一本の電話による“肉声”の連絡があれば、声の抑揚、調子からメール文面では伝わらない意味が双方理解できたであろう。「忙しいからメールで」というが、電話に掛かる時間は1、2分もあれば十分である。特にプロならそれくらい要領を得た短い時間で電話連絡すべきである。しかも、“どこでも、だれとでも、いつでも連絡”できる携帯電話時代である。
1本電話を入れておけばと悔やまれる。

さらに、デスクの記事チェック体制がどうなっていたのかも気になる。ここにも“便利で簡単”といわれるコンピュータシステムが介在していたのだろう。便利・簡単なシステムとうのは、その根底に“あいまいさ”を省くことで構築されているものだ。原稿用紙の文面を読み返しながら赤ペンを入れたり、傍線で消したりする“どちらでも良いカモシレナイ”推敲がないがしろにされ、パソコンディスプレイ上や大刷りでの校閲とになっているのではなかろうか。ディスプレイ上や大刷り段階ではレイアウト枠取りは完了している。修正は文章量の変更もあり前段階に遡るので時間も掛かる。今回は双方が、相手方が確認した記事だと思い込み、時間の掛かる校閲へ踏み込まなかったのではなかろうか。

システムに紙面作成手順をあわすのではなく、手順に合わせたシステムの構築が必要ではないか。現行のシステムが構築された時代からは手順が変わっている部分もあるはずだ。例えば、レイアウト枠の構成が厄介だと考えていた時代に組まれたシステムは、どうしてもレイアウト枠優先のものになりがちである。作業短縮化なのか、内容重視なのかでシステムの組まれ方は変わってくるものだ。

“自民党をぶっこわす”といった政治家がいるが、“編集システムをぶっこわす”くらいの意気込みで記事内容を校閲するデスクが出てこなければ、同じような不祥事は起こり得る。

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19 August 2005

第87回全国高校野球選手権大会

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夏の光の中で繰り広げられる熱い青春ドラマ、高校野球を見ているとなぜか少年の日に帰り、かつての夏が脳裏に浮かぶ。

幻だったのだろうか、うつつだったのだろうか、そんな思いの中に自分の青春が蘇る。紺碧の空、白い入道雲、あのころも見た。真昼には眩しい太陽の光の中で海がきらきら輝いていた日もあった。午後はすだれ越しにスイカ畑が見えたような気がする。冷えた麦茶がとてつもなく美味かった。夕方には風鈴の音が聞こえていたようにも思う。

夏はあっという間に過ぎていく。開幕に鳴いていたクマゼミが、ヒグラシに変わり閉幕が近づく。アルプス席の背景に見えていた積層雲が積乱雲に出番をゆずり、時として夕立とともに一時の涼を運んできたりする。季節の移り変わりが高校野球ドラマに彩を添える甲子園球場だ。

長い道のりを勝ち抜いてきたチームが、“あの一瞬”で勝敗を分る。一瞬の完成に身を染める夏の季節にも似ていて清清しい。

濃縮された夏のドラマは、明日決勝戦を迎える。実力は拮抗している。どちらが優勝してもおかしくない。優勝旗の行方は、だから、一瞬の幸運が決めることになるだろう。赤とんぼが舞う優勝戦、両校にエールを贈る。

球児のドラマはこの夏で終わらない。始まったばかりである。いつか必ず再会する、第二幕を目指して。社会人チームプレーヤーとして、プロ野球のヒーローとして、そしてメージャーリーガーとして、グラウンドで胸熱く握手する君たちがいるシーンをイメージしながら、夏のサヨナラと、ありがとうを言いたい。

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06 August 2005

王様の解散オトギ話

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ある日、愚者が王様になった。

最初は、王冠を戴くだけと思っていたが、自分が決定すべきことが多いことに気づいた。
自分が決定しないと世の中が動かないことに気づいた。

そして、世の中は自分が決定した通りに進むことに気づいた。

そのうち、決定には大きな責任があることに気づいた。「これは少し大変だ。ヘタをすると王位を失うかもしれない」と考えた。

そこで、自分で決定せずに人に命令することを覚えた。命令を受けた人は権力を授けられたように喜んだ。

そして、命令を受けて喜ぶ人間を増やすことを覚えた。自分に反対しない人間を、なんとなく新しく見える方法で集め始めた。

そのうち、自分の権力の大きさを感じ始めた。となりの国に行っても「自分は本物の王様だ」という振る舞いができるようになった。

そのうち、自分が命令しなくてもいいことにも命令し始めた。そして、決定が必要がないことに対しては決定をし始めた。

さらに、命令を実行できない人間を排除することを覚えた。「実行できないのは、その人間に力がないからだ」と自分勝手に考えて。

そのうち、命令を実行できる少数の人間だけが周りに残った。その人達は、「王に選ばれた人間だ」と錯覚して喜んだ。

そして、自分が命令することと、自分の欲望だけが目的になった。「欲望を歴史に残そう」と考え出した。

そのうち、周りの人間の数が減ってきた。思い通りにならないことが増えてきた。腹立たしさや不満を感じるようになった。個人的な怒りも増えて来た。

そして最後に、お城と周りの人間を自ら壊してしまった。
誰も、何もかもなくなり、王様は王様ではなくなった。

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26 July 2005

天下り人事は転職のひとつの形

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天下り人事などと特別な言葉で公共団体から民間企業への人事異動を表現しているが、A社からB社に人が移るということでは、通常の転職と同じである。転職として考えれば、天下りの制限や規制をすることは不合理であろう。転職には、次のような事項を考慮して行なわれるのが通常である。

経験を活かす
今までの業務経験を新しい職場で活かし、活躍できることは決して悪いことではない。経験豊かな優秀な人材を他社へ斡旋するヘッドハンターが存在する理由でもある。受け入れ企業も転職者本人も双方に利益がもたらされるように転職するのは一般的である。
但し、“前職の権威や職権を悪用”できる立場で異動するなら、転職とはいえない。

職業選択の自由
現職を退職または辞職してどのような職業を選ぶかは本人の自由である。就職してはいけない業種などがあっては困る。自分の判断で、自分の職業人としの道を進むことは正しいことである。
但し、“組織的に転職斡旋”が意図されているなら、転職とはいえない。

利益を誘導する
企業は利益を追求するものである。利益を株主や社会に還元するから成り立っている。だから社員が営業活動などで利益をもたらすことは通常の企業活動である。
但し、“裏情報悪用での利益追求が目的”の異動なら、転職とはいえない。

利権を利用する
前職の利権が天下りする本人に付いてくる機構、環境は不自然である。前職で権限があってもそれはその職責としての権限であり、離職すればその権限や利権は個人のものではなくなるはずだ。前職の利権が引き続き通用するとすれば、前職の組織が企業体としての独立性や公共性に欠けていることになる。退職する者が、退職者個人の能力以外の職責や権限を持ち出すことは背任行為である。
だから、“組織的な利権が個人に帰属”しているままの異動なら、転職とはいえない。

個人として自分に本当に帰属する能力、実力は何かを、個人、企業、社会の三者の関係から見直すべきだ。
虎の威を借りる狐に尋ねたい「あなたに鬣(タテガミ)がありますか」と。

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21 July 2005

フランス語は国際語ではない?

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東京都知事が、フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語としてふさわしくないと発言して議論を呼んでいる。その背景にはフランス語の数字表現が難解だということらしい。

例えば、70は60+10、80は40x20と表現するらしい。確かにこれを見る限り日本人には簡単に理解できる表現ではない。しかし、フランス人は生まれたときからこの表現で育ってきている。日本人が考えるほど難しいことではなく、それが普通なのだろう。

日本の漢字も見方によっては欧米人には不思議な文字ではなかろうか。“口”があれば“品”もあり“只”だってある。アルファベットで表せばいいのに、なんと不合理な言葉だろうと思っているかも知れない。

数字に関しては、日本は整合性が高い。古い表記でも、弐百参拾八萬四千五百九拾壱円=2,384,591円。これは、2x1,000,000=2,000,000、3x100,000=300,000などと100万桁がいくつ、10万桁がいくつ、1万桁がいくつというように明解に表示されている。

発音にしても1~9、そして10、その次は“じゅういち”、“じゅうに”と1~9の発音を付け足せばいい。
英語にはこの簡単さがない。11と12だ。全体の流れからすれば“ワンティーン”、“トゥティーン”となってもおかしくないのだが、なぜか“イレブン”、“トゥエルブ”と言う。

この読み方が、日米学童の数学の能力差に関係すると言った学者も有ったほど、読み方は数の勘定に多いに関係するだろう。

普遍性、簡易性は生活文化に深く関わる。豊かな独自性、特異性は芸術には意味があるが、経済重視の今の国際社会では浸透しにくいかも知れない。

“バベルの塔”の話に「人類が一つの民で、一つの言葉を話しているから傲慢なことを考え、天に届くほどの塔を建てるのだと神が危惧して人類の言葉を混乱させた」とあるのを思い出す。

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16 July 2005

色もいろいろ、意味も、世界もいろいろ

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国特別史跡キトラ古墳で1300年間泥の中で眠った「軌跡の朱」として午の衣服の色がその鮮やかさで話題になっている。

中国古代の神仙思想では、東西南北の方角をそれぞれ青、白、赤、黒色で表し、東に「青竜」、西に「白虎」、南に「朱雀」、北に「玄(黒)武」を配置したらしい。他の十二支像の衣服もそれぞれの方角の色で塗られた可能性が指摘されている。

日本で青春という言葉は若い時代を表しているが、季節を色で表したことが起源である。春は青、夏は朱、秋は白、そして冬は玄(黒)である。白秋は北原白秋として作家の名前にもなっている。

方角と合わせるとどうだろうか。青は春と東を、夏は朱と南を、秋は白と西を、冬は黒と北を象徴していることになる。なんとなく季節も方角も太陽の動きや位置と関係がありそうで面白い。

しかし、太陽の動きを地球のどの位置で見るかによって随分変わってくるだろう。オーストラリアが冬の時は、日本は夏である。この時季、オーストラリアではどのような色をイメージしているのだろうか。北寄りの太陽を見ながら黒をイメージしているのだろうか。それとも日本の夏のイメージ色、朱の補色の水色をイメージしているとしたら、などと想像したりする。“太陽は一つだが地球は広い”と感じてしまう。

日常生活の安全のためには、日本工業規格(JIS)の「安全色彩使用通則」が、災害防止や救急施設の表示などに次の8色の意味を規定している。
赤は防火、黄赤は警告、黄は注意、緑は安全、青は用心、赤紫は黄とともに放射能、白は通路、方向、黒は他の色と組み合わせて文字を表すことになっている。色彩も意味がいろいろある。

交通信号を考えると、青が用心とは以外であるが、用心して渡るから安全なのかもしれない。“用心なくして安全はない”と心掛けたい。

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13 July 2005

情報のリークが招く腐敗のドラマ

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日本道路公団の天下りや談合が問題になっている。天下り再就職廃止、談合防止などが検討されているが、その前に根本的にやらなければならない問題があるように思う。まず、天下りが必要悪的に起こる背景、談合をさせる環境をなくする施策が必要ではなかろうか。

予定価格情報が一部に漏れる、新規参入の難しさ、原資が税金である、の3点が検討されるべきであろう。

その一、予定価格の事前公表予定価格は入札業者に分からないから入札制度に主な意味があるのだろうが、事前に一部の業者にだけに漏れることが問題である。予定価格と最低制限価格を事前に公表すれば、天下りの役割がなくなり、問題の多くは解決されるのではないだろうか。

その二、新規業者の参入枠を拡大する
入札業者になるための登録には工事経歴、技術経歴、その他が審査されるハードルがあり、登録は予想以上に難しい。登録されても○○会などの団体組織に加盟していないと落札は難しくなる。登録制の廃止はいろいろ問題があろうが、公平に新規参入を広く認めるようにすれば、談合効果は減少することになる。

その三、税金使用の規制
予定価格に非常に近い価格で落札されているのが現状である。約97%から98%と言う数字は予定価格の漏れ以外に、建設費を節約しようという考えが見られない。廉ければ良いということではないが、一般企業のように廉く調達する感覚を持つべきである。
税金は“国民から預かったお金”である。国民からすれば“搾り取られた金”である。“無駄使いが許されない金”でもある。税金を使えないようにするための民営化なら歓迎である。

公的団体の仕事は、許認可だけではない、企業が自己判断と自己責任で新規事業に参画できるような情報公開や規制緩和を図ることが、これからの仕事である。規制や非公開は一部の権利になる弊害がある。

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25 June 2005

クレジットカード個人情報流出事件

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一億円を超える被害がでている偽造カードの事件、被害額はもっと増えると言われている。原因はすべてのクレジット会社のカード処理を一括して一社が請け負っていたため、社内処理をしていない複数のクレジット会社が被害を受けた。日本は社内でカード処理を行なっているので同じような事故は起こらないといわれている。
アウトソーシングの難しさや弱点がみられる。

クレジット会社や航空会社に限らず、近頃はアウトソーシングにくわえ、契約社員が正社員数より多い企業もあるくらいだ。社員の“材料化”の時代だろう。契約社員の能力は正社員より優れている場合も多いが、いい材料は、高い買い手があれば、愛社精神などにこだわりなく流れ出すだろう。
人件費を“経費や支出”ではなく、“資産や貯蓄”と考えられないのだろうか。人件費は抑えればいいというものではないはずだ。

自社の明日を託すと考え、育てることに重点を置いてほしい、子供を育てるように。
企業の契約社員傾向に若者は早くも反応している。群馬県若者就職支援センターのアンケートに34%が「会社に将来性が感じられない」と回答している。
親子の断絶のようになっては将来の企業が危ぶまれる。

アウトソーシングや契約社員の考えを拡大すれば、アメリカと戦争するのに、日本がアメリカ軍人を契約雇用して戦うということになる。
自分は何なのか、自社は何なのか、今一度自己を問い直してみる必要がある。

経費など数字で見えるものだけを追求すると、将来が見えなくなりはしないのか。
結果だけを重視すると目先のことだけにこだわってしまう。企業の将来を託すということで、将来の企業イメージが確立できると思う。

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21 June 2005

サマータイム制の実施

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今日6月21日は、太陽が天球上で最も北に位置する夏至である。昼間が最も長く、夜が最も短い日だ。東京(北緯35度)の場合だと、太陽の南中高度は78°、頭の真上から照りつけるかのような感じとなる。冬至の太陽の南中高度は32°なので、その差は46°もある。これから気温もぐんぐん上昇する季節だ。

日照時間の活用で、1948年から4年間、当時の連合国軍総司令部(GHQ)の指示で日本にサマータイム制が実施されたことがある。夏季に1時間時計を進めるので、通勤者も通学生も1時間早く起きなければならなかった。しかし、1時間早く仕事も学校も終わるので夕方というか通常時刻の午後4時以降は、ゆっくりと時間が過ごせる。日照時間に合わせて日常生活を切り替えるわけだから、日が昇るとともに活動を始め、日が沈むとともに体を休ませるという生活に近い。サマータイムはDSTと表示されるが、まさにDaylight Saving Time(日照有効活用時間)である。

今、北海道ではサマータイムが実施されている。また、通常国会でのサマータイム法案の成立を目指して、サマータイム制度推進議員連盟、札幌商工会議所ほかの主催で「サマータイム実現緊急大会」が3月18日に開催されたと報じられている。

その法案の2条には:
1) 4月の最初の日曜日の午前2時から10月の最後の日曜日の午前2時までの間は、サマータイム(標準時より1時間進めた時刻をいう。)を用いるものとする。
2) 4月の最初の日曜日は23時間をもって1日とし、10月の最後の日曜日は25時間をもって1日とする。
3) 条約その他の国際約束若しくは法律若しくはこれに基づく命令に特別の定めがある場合又は特別の国際慣習がある場合については、前2項の規定は、適用しない。
と起案されている。

サマータイム実施には賛否両論があり十分に議論される必要がある。
しかし、夏の日の出は早い、明るさの関係で自然と目覚めも早くなる。昼間の暑さからくる疲れから早めに眠たくなる。動物的な本能からすると理にかなった生活リズムがサマータイム制から得られるのではなかろうか。

また、時刻を1時間進めるということは、一時間の時差の国への旅と同じだ。サマータイムの期間はシドニー、メルボルン、ハバロフスクと同じ時間帯を生活することになると考えるとなかなか趣があるように思う。

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20 June 2005

若の花、貴乃花の兄と弟の確執。

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二子山親方が亡くなって以来、若の花、貴乃花兄弟の不和をテレビ各局が競って放映している。「他人の不幸は蜜の味」とばかりに手を変え、品を変え連日、取り上げているのを見るとテレビ報道番組の姿勢を疑いたくなる。

確かに他人の不幸に興味を抱くのは人の常である。しかし、その報道姿勢は、どうすればその不幸を回避できるかという“対策や対処法”を知らせてこそ、報道番組の価値があるのではなかろうか。家族の不和や争いはどの家族にも起こり得ることである。あなたにも明日、起こり得ることである。他人事ではないというスタンス、他山の石として参考にする姿勢での番組であるべきだ。

視聴率という数字さえ稼げばという姿勢では報道番組とはいえない。それは単にゴシップ紙の域を出てない。番組の出演者自身もゴシップ紙的内容で空しさを感じていないのだろうか。数字だけを追う弊害は、倒産や列車事故を起こした企業にも最近見られた事例であることは記憶に残っているはずだ。

自分の身の回りに兄弟不和が起こった時、その不和の原因はどのようにして生まれたか、どのように解決したか、などを若の花、貴乃花の問題を具体例としてその解決策を探り、提供するような番組はできないのだろうか。いまのような報道姿勢では不実の番組としか言えない。

報道は受信者になんらかの“利益”を与えるべきである。“若貴報道”は視聴者にどのような価値を提供しているのか理解できない。知恵なのか、知識なのか、教えなのか、“解決の糸口”を与えようとしているのだろうか。

数字さえ稼げばいいとうのは、人件費を抑えるために正社員を契約社員に切り替え、利益を計上しているようなものだ。本当に会社に役立つ“人財”を減らし、安価で短期的な“人材”を求める企業と同じである。視聴者を長い目で捉え、価値ある情報で自局の番組の“顧客”を形成する姿勢を期待する。

愛知県体育館での名古屋場所は7月10日から開催される。梅雨空を吹っ飛ばすような貴乃花部屋の活躍も期待する。

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06 May 2005

JR事故の原因究明と再発防止を

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連休を楽しむことなく逝ってしまった被害者の方々を思うと無念この上ない、心が痛む。ご冥福を心からお祈りしたい。

テレビ報道もこの事故その後の報道などで過熱気味である。一部の記者や解説者のJR関係者に対する質問も過激的になっている感がある。まるで被害者の代弁者になりきった激怒の念をこめた質問をする記者もある。たしかに被害者のことを考えるとそのような質問を投げかけたくなる気持ちは理解できる。しかし、「どのツラさげて…」といったような質問の仕方は、被害者やご家族にとっ