26 July 2007

イロハ、色は

Cimg0318「いろは」の「い」の字も知らない、という言葉があります。
基本中の基本も解かっていない、という意味で先輩が後輩に言ったりします。

しかし、最近、いろはの歌を最後まで言えないことに気付き、考え、考え、なんとか最後の「…ゑひもせず」まで思い出せ、ほっとしたりしました。

日本語の四十七表音文字がすべて含まれているので「あいうえお五十音」と並んで昔、習ったように思います。

いろは歌の意味はなかなか深いようで興味を持ちました。
弘法大師空海が仏の教えを47文字に表したようです。

いろはにほへとちりぬるを(色は匂へど散りぬるを)
わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)
うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)
あさきゆめみしゑひもせす(浅き夢みじ酔ひもせず)

もっと知りたい方は、遍路巡礼の旅のサイトへどうぞ。人生がもっと解かるかも。

このサイトの主は、有為の奥山を今日も越えられていないようです。

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03 July 2007

人生の蛇行

Sunflower川はもともと水流の力でまっすぐに流れなくて自然に蛇行しています。

この蛇行のお陰で両端には副流ができ、その本流の水の量によって池になったり、干上がったりする水溜りがあります。

これをワンドといい、漢字では湾処と書きます。
ワンドは、魚など水生生物に安定した住み家を与えるとともに、様々な植生が繁殖する場でもあります。

河川に生物多様性をもたらす一つの機能としてワンドは見直されています。
川は直線では流れないのですが、それを人口的に直線に近くしているのでワンドがなくなり、生態系が変化しているそうです。

人生もまっすぐ行かないのが自然なのでしょう。
紆余曲折、浮き沈みが、人生の味付け、彩り、幅なのかもしれません。
人生のワンドも意味があります。

と悟れたらいいですね。
まだまだ、生臭い私です。

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11 June 2007

あの時感じたこと

White白鵬の優勝

対戦前、座して目を閉じ念じているようでした
私はそれを見た時、勝ったと思いました
13日目、14日目、千秋楽
白鳳のその姿を画面で見て
勝利を確信しました、対戦前に

彼は、時の流れと自分を合わせていたのでしょう
勝、負、ではなく
自分、対戦相手、でもなく
自分を育ててくれた過去、今を包んでいるこの瞬間、新たな試練を与えてくれる明日

一瞬で決まる勝負に、彼は結果を見ていたのでしょう
イメージングでも、祈りでもない
今と、明日の自分をつなぐ信念かも知れません

結婚、子供誕生
これらが礎になり
白鳳の時間が流れ進むのでしょう

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30 October 2006

β版は謙虚で新鮮

Cimg0633SNS(Social Networking Service)のミキシ(mixi)は人気があり、会員数は570万を超えている。それほどの会員数を持ちながらそのログイン画面には“mixi βversion”と表示されている。会員にしてみれば不都合なく使えているのでどこが“βバージョン”だろうかと思ってしまう。

また、京都の歴史ある和菓子屋の社長が、講演会で「伝統とは改革の連続で成り立つ」と話していたのを思い出す。
日々これ新たなりの気持ちが、伝統そのものを“βバージョン”と認識し、さらなる改良、改善に精進した結果が長い歴史に紡ぎだされたのだろう。

他方、知事を18年間も務めた人物が最近逮捕された。18年間といえば就任時に生まれた子供が高校生となっている。長期政権を積み重ねるうち、日々、自分の身分に身につく高慢さ、横暴さに気づかなかったのだろう。
県民の立場を意識し“自分の政権をβ版と考え、日々これ改良”の姿勢で県政に勤しんでいれば、この事件は起こらなかっただろう。

受益者や利用者に対し欠点を補うのがβ版、明日に向かって磨きあげるβ版意識が、人生を謙虚に保ち、自分自身を成長させることにつながる。

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23 October 2006

飼育ですか、教育ですか

Cimg0620子供の虐待事件が後を絶たない。食事を与えない、過度の体罰を「しつけ」と称して与えるなど、結果として死にいたらす痛ましい事件が多い。

児童相談所や保育園の責任が取りざたされるが、問題の根本的な解決にはならないだろう、“責任の問題”ではない、次世代を担う子供への“心の問題”であるからだ。

親、教育者そして地域社会も共に、子供のことに“心を遣う”ことだろう。もっと極端な言い方をすれば、飼育ではなく、教育をすることに重点をおくことである。

飼い方と育て方はその本質で大きな違いがある。飼うことは趣味でもできるが、育てることは命がけの一生の事業である。
痛ましい事件に触れるたびに、子供が飼育されているのではないかと思う。

餌をやる、閉じ込める、室外に出す、身体に痛みを与える――どれも飼育や訓練
を思わせる行為である。

話しかける、ご飯を一緒に食べる、お話を聞いてあげる、本を読んであげる、遊んであげる――教育とはこのようなことから始まるものだろう。

ペットを扱うように子供を扱う人間が増えているのだろうか。
子供の教育には、飼育では及ばない心や身体に関する範囲の広い分野が含まれていることを忘れてはならない。

子供の中に自分自身を投影して子供と接しよう。なにが嬉しいか、なにが辛いかがわかるだろう。

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24 August 2006

一人で風に向かって立つ

Cimg0371
人間は一人でいるよりは皆で話したり一緒に時を過ごしたりした方が楽しい。特に大学入学直後はこれからの学生生活に期待と同時に不安があり、一人でいることが淋しい、誰かと話し、情報交換をしたいと思うだろう。“つながりたい願望”の現われである。

ところがその状況を落とし穴として悪用する者がいる。カルト教団、ねずみ講などがサークル活動を装って、彼らを誘い込み、信頼関係を形成し、そして徐々に教義ややり方を教え込み、マインドコントロールをする手口である。

気が付けば、というか“気が着か付かない”うちに、落とし穴に陥っているというシナリオ通りの役柄を演じることになる。どこかに所属していたい帰属意識を悪用した犯罪である。

人が共に時間を過ごすのは意味がある、しかし人に流されては自分の人生が失われる。共に生きるのは人生かもしれないが、相手の思いのままに生きることは自分の人生を生きていることにはならない。

共生と支配されることは全く別物である。人とつながることと、人に流されることは、自分の人生を生きるうえでは区別しておくべきである。

真の宗教、哲学は個の確立のためにある。その根底には、人生は自分探しであることを教えている。
「汝の足元を深く掘れほれ、そこに泉あり」の言葉が真理であろう。

鳥の“巣立ち”は個の確立の旅立ちであろう。モラトリアムという庇護の言葉がよく言われた時代があったが、これが個の確立、独立を求めない今の時代の流れをつくったのだろうか。

自分自身を知り、個を確立する。そうすれば他人の意見や考え方がより深く理解でき、流されたり、支配されたりすることはないだろう。

日本人とは何かを認識できない、そして日本語形成が十分でない年齢で外国語の環境で生活していると陥りやすい“無国籍国際人”と似ている現象である。

時には、“一人で風に向かって立つ”人間でありたい。他人と和を求め、なおかつ、群れを作らない生き姿が美しく感じる。

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11 May 2006

五月病は怖くない

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4月、新しく社会人となり緊張の1ヶ月が終わる頃、 日本では“一息つける”連休の到来。ストレスから開放され久しぶりに級友と会い情報交換もしたことであろう。
さて、その連休も終わり、いよいよ仕事の独り立ちが期待される日々が始まった。

五月病の季節かもしれない。目標を失う、周りの人間に馴染めないなど環境との同化がスムーズにできない、と強く思い込んでしまうことから悩むのがこの時期である。

英語では“spring fever”というが、こちらの方は何となく気乗りがしないとか妙にハイになるなどの意味で“熱っぽい”にぴったりの表現。

全体の10%が見えてきた頃に、残りの90%を自分の理解した10%と同じになってしまうと勝手に想像して悲観してはいけない。残りの90%はバラ色かも知れないと信じると道は開ける。1割を判断して10割に賭けるのは無謀な人生につながりやすい。

映画のセリフにこんなのがあった――「今週の水曜日が悲しいからといって、来週の水曜日も悲しいとは限らない」。
一週間という時間は、事情が変化するのに十分な期間でもある。
一日でも随分いろいろなことが変わるものである――「明日は明日の風が吹く(Tomorrow is another day)」というように。

他人と過去は変えられないが、自分と将来は変えることができる。

五月病に罹らないのは“環境に鈍感”だからだと考え、罹るのは“感性の豊かさ”の証拠ととらえ、ポジティブシンキングで行こう。輝く夏はもうすぐである。

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16 November 2005

OS(Operating System)無視が暴走を誘発する

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化学部に入部した高校生が母親の毒殺を計った事件は人間の心と知識の関係を考えさせられる。彼女は化学に関しては相当高いレベルの知識があったと伝えられている。

パソコンは基礎となるOSの上でいろいろの仕事をアプリケーションで実行している。OSを超えるレベルのアプリケーションで仕事をしようとすると不具合が生じる。人間も同じではなかろうか。人間に喩えればOSは理念や心であり、アプリケーションは技術や知識であろう。

人間の倫理、理念はOSに匹敵し、動物の生活史でいう刷り込みにあたるだろう。そして技術、技能というアプリケーションを駆使して行動を起こすことになる。倫理や理念という人間的な基盤がしっかり築かれていないと脳の指令による行動が暴走する。心の拠りどころかが確固としていなことが多くの犯罪を誘発しているように思えてならない。

行動だけで世間に何かを誇示しようとする、アプリケーションの機能性だけが暴走するような“犯罪のパーフォーマンス化”を感じる。人間の“OSとアプリケーションの整合性”がくずれた“アプリケーション先行”が犯罪や悲劇を招いているように思える。

それとも、心理学者マズロー(Maslow A.H.)の人間欲求の5段階説は、今や (1)生理的欲求、(2)安全と安定の欲、(3)愛・集団帰属欲求、(4)自尊心、などを飛び越え (5)自己実現欲求・自己顕示欲だけを求めるようになったのだろうか。

本来、マズローのいう“自己実現欲”というのは社会的価値のあるものを求めたはずだが、今や有名よりも悪名をも求めるというのだろうか。何が“正しい”のか、何が“良い”ことなのか、それが理解し難いのは時代のせいだろうか。

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16 September 2005

システムは人を超えない

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ルイジアナ州を襲ったカトリーナの惨劇はその回復にまだまだ時間がかかりそうである。石油資源もさることながら、腐敗物による水質汚染、細菌の発生などを考えると被災者の健康状態が気がかりである。

ブッシュ大統領の対応が遅い、連邦緊急事態管理局(FEMA)ブラウン局長に責任がある、あるいは州政府の連邦への要請が遅かったなどが取りざたされている。しかし、問題の解決が、州が悪い、連邦が遅いなど“犯人”追求に終始してはならない。いかに現状を速やかに復旧するかであろう。

洋の東西を問わず“お役所仕事”は、惨事が起こるとその対応よりも“犯人”探しが、最初の課題になる。復旧、回復を第一優先に現状を見極めてほしい。

州政府が先か、連邦政府が先かは、一つの制度、システムの中のことでしかない。制度やシステムが最初にあり、後に人があるのではない。人がシステムを作ったのであり、人が、いかなる状況下でもそれに従わなければならないとはない。「システムではこうなっています」というような態度は人を無視した考えであろう。システムを適切に運用し、現場に対応するのが人の役割である。

さらに、人は時代とともに変化、進歩するが、システムはそれにつれて自ら変化し対応してはくれない。時代に合った新しいシステムを人がつくり修正、変更しなくてはならない。人が作ったシステムは、人の変化には即応できていない。後からの修正でしか対応できない。システムの宿命的欠陥である。システムについては「学校襲撃は、システムだけでは」にも記したことがある。

人が最優先である、だからこそ、人は常に最先端や未来を見つめてシステム改良の努力を怠ってはいけない。

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10 September 2005

これさえ鍛えれば能力は伸びる

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最近、「脳力・・・」といった書籍やゲームが多く登場している。“若さを保つためには脳力アップを”と広告され高齢者がターゲットとなる。なかでもゲームは年齢を問わず楽しまれている。試してみると「あなたの脳年齢」などと結果が表示され、結構熱中させられる。

“体力と体質”のようにが“質”と“力”は関係深い。“脳力と脳質”も無関係ではないと思うが“脳質”という言葉はなぜかあまり聞かない。

“能力”を伸ばすためには“脳力”を鍛え、“脳力”をアップするには先ず“脳質”がよくなければならない。すべては“脳質”から始まる。“脳質”を発達せさせることを忘れてはならない。
“脳質”から“脳力”へ、そして“能力”へと発展する関係にあると考えるべきであろう。

先ず、“脳質”とは、暖かい、美しい、綺麗、芳しい、楽しい、楽しい、柔らかい、またはそれらの反対を感じる機能である。動物としての本能に近い視覚、聴覚、触覚、嗅覚などに関係する。受信機でいえば受信帯域が広いこと、受信する波長域がどれだけ広いかということで、広ければ広い方が“脳質”は良いといえる。
脳質の主成分である不飽和脂肪酸で、記憶・学習能力を高める」といわれている。

そして、“脳力”は、“脳質”で感じたことを尺度、程度で判断する機能である。温度の高さ、美しさの程度、騒音の程度、静寂の度合いなど数量的に受容する。受信機でいえば発信された電波をノイズに対してどれだけクリアに受信するかが“脳力”に関わる。

最後の“能力”は、知覚したものを活用する力である。熱い温度を利用して水を温めるなど環境に働きかけ、目的を達成する力である。受信機でいえば電波を音としてスピーカーに出力するかが“能力”といえる。

簡単に云えば、美しいと感じ(脳質)、それを色別に感知し(脳力)、絵画として創作する(能力)、こうして名画が創られる、といった関係である。

美しい夕焼け、優しい子守唄、母の優しいおとぎ話、楽しいお祭り、話しながらの夕ご飯、これらを見たり、経験したりすることが脳質を高める。

“脳力”だけが高まるとデジタルでしか判断できない人間となり、情や和のない社会性に欠けた行動をしたりする。“能力”だけが伸びるとパーファオマンスだけの人間になり、より目立つパフォーマンスを求めて麻薬などに走ったりする。

人間の根源に関わる“脳質”の訓練は欠かせないものである。“静寂を聞く”気持ちを大切にしよう。

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11 August 2005

自動皿洗い器とジムのマシーン、総選挙

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ジムのインストラクターがマシーンの使い方を説明するとき必ず使う言葉がある。「脇腹を意識してハンドルを引っ張ってください」などと強化したい体の部分を“意識”させるように指導する。気持ちを込めずに力をただ入れるだけでは効果がでないことを教えられる。

自動皿洗機を小窓から見ているとどの皿も綺麗になっているように見える。安心して取り出し、一枚一枚を手で触れてみると多少汚れが残っている時がある。機械は一枚一枚の皿を意識出来ない、センサーできないていないからだろう。洗浄完了の判断は人間と機械ではその感覚が違うためだ。感覚には人の意識がある。

ジムのマシーンでも皿洗い機でも人間が“操作”して、体力強化や洗浄を達成しようとしている。“操作”している主体の人間にその“気”が無ければ効果はないだろう。機械が体力を強化したり、洗浄したりはしない。機械はだだ“動かされている”だけだから人間が目的達成の“意識”を持って“動かして”いかなくては効果がない。

“操作”を“他人任せ”と置き換えてもいい。“気”を“心遣い”と考えてもいい。

教育は学校任せで、問題があったときには自己主張、自己の責任逃れと学校の責任追及を図る父兄。学校は制度的“操作”機構にすぎない。わが子には親が“気”を遣おう

業務のやり方はマニュアル任せ、新入社員の業務能力欠如を嘆き、自己能力の優位性をひそかに主張する先輩社員。マニュアルは文書にすぎない。文書ですべてが理解できるなら、経典を読むだけで世の中に高僧が溢れるだろう。

恋や愛にマニュアルがないのを見れば“気”、“心遣い”や“思い入れ”が、欠かせないことが分かるだろう。

政治も人任せではいけない。総選挙は国民の税金で実施されている。我々の負担金である。総選挙は政治にわれわれの“思い”を入れる数少ない機会である。

仏作って魂入れず」といわれるように、“”や“”がなければ物事は完成しない。“”は“遣う”ためにある。

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19 July 2005

道と川、芭蕉とモンロー

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今を、この瞬間を、生きている人は“気”が漲っている。子供が元気一杯なのは、この瞬間を楽しみ、笑い、泣くからだろう。過去を悔やんだり、未来を心配したりせずに、今を生かす、活かす、これが精気の素だと、子供を見ていると特に感じる。

波にのまれそうになりながら小船に身を任せ、川を下っていく“帰らざる川”という映画には、運命という船で川という人生を果敢に渡る人生ドラマを感じる。

その主題歌をマリリンモンローが歌っていた。
「“帰らざる川”と呼ばれる川がある、時には穏やかで、時には荒れ狂う。愛は“帰らざる川”の旅人である」といった歌詞であるが、人生という時間の流れは、元には戻せない“帰らざる時”を感じさせて意味深い。

松尾芭蕉「奥の細道」の序文にも同じような文章がある。
「月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である」と時間を旅人に喩えている。人生は、時の流れの中での旅人なのであろう。

流れているから、今を生かしたい。昨日を振り返れば、今を逃がしてしまう。明日を恐れていたら、今を活かせない。幸運の女神は後ろ髪がないので後から気付いても捕まえることができないといわれている。

洋の東西に関係なく、 “今の活用”の大切さは強調されている。過去や未来は、今日にとっては時間的に“他人”である。未来は、他人に頼らず自ら拓いていきたい。

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05 January 2005

人体もバージョンアップが必要

PICT0039 運動会で一気に駆け出し、いいスタートを切ったパパがコーナーにさしかかる頃、ステンと転んでしまうのをよく見かけませんか。また、「今日からからジムでがんばるぞーっ」と張り切ってやってきたヤングエクゼクティブがとたんに腰を痛めてしまう、こんなこともよくあることではないでしょうか。

 マイクロソフト社のウインドウズ3.1がウインドウズ95になり、98とか2000とかMeとか、あっという間にXPになっていまいました。バージョンアップです。ハードの進歩に対応するようにソフトも進化してきました。ハードとソフトのバランス調整といえます。

人間の体力と気力の関係に似ています。30歳代後半で気力だけで体力を使おうとすると、気力というソフトはまだまだ20歳代のバージョンであるにもかかわらず、ハードにあたる体力の実力は40歳代、このアンバランスが“ソフトとハード不具合”を起こし、その結果が転んだり、腰を痛めたりすることになります。

ジムに定期的に通っている人は日々のエクササイズから自分のソフトとハードのバランスを意識しています。毎日自分のソフトをハードに合わせてバージョンアップしているとえます。20歳代まではハードが上向きで、30歳代からはハードは現状維持または下降でしょう。体力を意識しながら運動すること、これが人体のバージョンアップでしょう。

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17 December 2004

“人は全て役者である”と彼は言った

_1忘年会もかねてという日程で、久しぶりに懐かしい人々との再会ができた。しかもその機会は2度あった。どちらも十数年ぶりの顔合わせであった。

ひとつは中学校の同級会、他の一つは昔デスクを並べて仕事をした面々との同社会であった。時間と共に盛り上がってくるといつのまにか皆があの日に帰ったような状況になっていた。
歴史が好きだった者はいまも歴史的なことを挿みながら現代の国際関係を説明したりしている。誰も彼の歴史の講話に口出しするものも無く中学三年生の教室が再現されたようであった。張り合っていたA君とB君は未だに絡み合っている。「静かにしなさい」と先生に叱られそうである。
同社会も同じだ。当時会計をしていた者は、今の職に関係なく自然と会費徴収などをしている。

ふと思い出した、昔学んだシェークスピアの戯曲
お気に召すまま
、第七場の「…all the men and women merely players」を。それには「人生には七つのステージがある」とあった。その場になればその役になれるとも感じた。また、サムエル・ウルマンの“青春とは心の若さである”とう詩も思い出した。

人は心の持ち方と演じる役柄によって年齢をこえた行動ができるものだと感じた忘年会であった。

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